先日、ある講演会で熱心に耳を傾けておられた経営者から、
次のようなご質問をいただいた。
「部下はどのようにしたら一番育つのでしょうか?
厳しくすればすぐふて腐れるし、逆に優しくすればつけ上がる。
色々と試しているのですが、どうにもこうにもそのコツを
つかめていない自分が腹立たしいのですよ」と。
実は講演会ではこのようなご質問をよく頂く。
私はその方のところへ歩み寄り、自分自身の体験談を交えて、
私なりの考えを申し上げた。それは
「厳しい⇔優しいという軸ではなく、軸を変えてみたら
私の場合とても効果が上がるようになりました。
その軸とは、冷たい⇔温かいという軸なのです」
と、身振り手振りをまぜてお伝えしたのです。
ところで好きという感情の逆は、何でしょうか?
今一度考えてみてください。
私の意見は、嫌いではなく無関心だと思います。
人がストレスを感じる時は、相手から否定される時(ただ反論の
余地あり)も一つですが、無関心や無視、そして断絶・拒絶
(反論の余地すらなし)といった自尊心や自分の存在そのものを
傷つけられた時ではないでしょうか。
これまで通り、厳しい⇔優しいという軸で相手を見て、
関わり方を磨くテクニックも有効かもしれません。
しかし、意外と自分の部下への温かさの不足に気づかぬままに、
人間関係の原点で躓(つまづ)いていながら、
うわべだけのテクニックで何とかしようといった上司や
リーダーが多いのではないでしょうか。
(事実、恥ずかしながら以前の私はこの点に気づいておらず、
数々の失敗をしてきました。)
講演会から戻り、この温かさを大切にする原点について
もう一度ひも解きたいという想いから、ある書籍を手にとってみた。
以前、部下育成にまだ我流で臨んでいた私が、
大きな転機を迎えたのはこの著者との出会いであったことに
間違いはない。
伊藤重平先生の
「愛は裁かず〜子供が立ち直る決め手になったもの〜」
これがその題名である。
先生は非指示的療法を創設し新時代のカウンセリングを築いた
カールロジャースに影響を受け、親や学校で不適応を起こしていた
子供を数多く救ってきた方である。
今ではこれに近い言葉を多く耳にするかもしれないが、
伊藤先生は三十年も前からブレずに一貫してこの考えを
伝えてこられた方である。
私が何度となくこころに刻んできた言葉を一例としてご紹介しよう。
「愛は許しの中にある」
「『許してやる』のではなく、『許すのが当然』と理解した時、
人は本当に許すことができる。
『ありがたく思え』というような恩を着せる言葉や思いが
消え去っていたら本物である。」
「子供が困った子であるとの認知から、悩める子であるとの認知に
転換した時、子供は(真に)救われる ※子供や子を、部下に
置き換えてみれば、ビジネスの場面でも感じるものが実に多くある」
「(その人が相手に抱く)憎しみには(その人自身に)不安が伴い、
愛にはやすらぎが伴う」
私は、講演会でのご質問がきっかけとなり、
伊藤先生の著書を久しぶりに再読する中で、
自分自身が体質になっていることと、
まだまだ身に付いていないものの両面が身近に見えてきた。
特に、ビジネスの現場で強く感じるのは、
「上長が部下を裁き、部下がやる氣を失う」
とまではいかないが、
「部下を批評することで、部下から言葉そのものを上長が
奪っている」
ということだ。
部下の感じたこと、考えていることを尊重せずに、
上長の意見や論評、そして何より「価値があるかどうかの評価(裁き)」
を押し付けてはいないだろうか。
そしてそこからは意外と沈黙という反発だけしか残らないのでは
なかろうか。
人は批評された時に、次回から貝の様に口をつぐんでしまうのかも
しれない。
部下や周りの人の言動・態度や素行は、
実はリーダーである自分が源であるという視点から見ると、
部下育成や人との関係といったことの原型が見えてくる。
あなたご自身は何を感じ、何に取り組んでおられますか?
「厳しい⇔優しいという軸ではなく、冷たい⇔温かいという軸」
「愛は許しの中にある」
「困った子(部下)であるとの認知から、
悩める子(部下)であるとの認知へ」
「憎しみには不安が伴い、愛にはやすらぎが伴う」
「部下を批評することで、部下から言葉そのものを
上長が奪っている」
1) あなたとは、部下に優しい人、厳しい人、それともどの様な人?
2)あなたは部下を批評して(裁いて)おられますか、
それとも尊重して(許して)おられますか?
そしてそこから何を得ておられますか?
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