挨拶一つをとってみても気付くことがある。
今の様な冬の朝、
「今日は、寒いですね、冷えますね」
と挨拶を交わす。
人によっては
「今朝はすごく寒かったですね。昼間は少し暖かくなるようで」
と続けられ、
別の人は
「朝の最低気温は氷点下でしたね。
でも午後からは十度を超え暖かくなるみたいですね」
と挨拶は続く。
前者は感覚的に捉えている方、
後者は数字的につかんでいる方と、言えるかもしれない。
人それぞれがあって、面白い。
私がこのようなことを特に意識する様になったのは、
スポーツタイプの時計をここ十年近く使う様に
なったからかもしれない。
この時計は針があるアナログタイプのものではなく、
数字で表示されるデジタルタイプのものだ。
それに数字で表示できるのは、時間だけではない。
現在の外気温や、今いる地点の標高(深さ)、
はては自分自身の心拍数にまで及ぶ。
例えば、この時計を使っていて感じることができたのは、
地下鉄路線の駅の深さだ。
以前であれば、半蔵門線の永田町駅は深いだろうな位しか
わかっていなかった。
見上げる程の長いエスカレーターがあるし、
都内で一番深いのではと感じていた。
しかし、この時計を駆使すると、
感覚でしか表現できなかったこのエスカレーターの
実像が数字で見えてくる。
高低差は16m(ビル5F分に相当)、所要時間は55秒等が
浮き彫りになってくる。
また地表から最も深い都内の駅は、大江戸線の六本木駅であり、
実に42mであることもこの時計で瞬時に計測できてしまうのである。
この様に、最近の私は
物事の把握をするにも、感覚的な把握と数字的な把握
があることが以前にも増して敏感になってきていることに気付く。
数字的な把握ということで、私の尊敬する方のことが頭に浮かんできた。
この方は、経営者でありながら、ものづくりを数多く手掛けられ
プロの建築家や芸術家をも顔負けの作品を数多く手掛けておられる。
まさしく多芸多才で、その上、人間的な魅力が溢れている方だ。
この方が日々実践しておられることは、
常にメジャー(モノサシ)をもつということだ。
例えばすわり心地のいいテーブルやイスがあると、
すぐにメジャーを取り出し計られる。その様な中から、
造形に関するセンスだけでなく数値的なものを追求され、
日常の生活の中から、ものづくりを極めておられるという感じの方だ。
今回、私は「数値でつかむ癖」というテーマを深める機会を得た。
そこで、この視点で仕事や趣味の世界で出会う人々の
個性に改めて気付く。
例えば、営業の感覚やセンスが抜群で、
良い人間関係づくりの能力も長けておられる。
が、こと業績や数字把握になると苦手な営業マン。
お客様やメンバーからも面倒見がよく慕われている。
が、部門業績の読みが甘く上長からよく注意を受ける部門長。
事業に対する想いやお客様に対する温かな気持ちは旺盛。
が、決算書や数字が苦手で思う様な業績に至っていない経営者等々。
「実に、もったいない」と感ずる人が多いことに、
今さらながらに気付いたのである。
感性と理性。感情と勘定。アナログとデジタル。
どちらがよくてどちらが悪いというものではない。
数値的な把握が苦手なことがそのまま悪いというわけではもちろんない。
ただ、時と場合によって数字を使えるようになれば便利かもしれない。
右利きの人(感覚的な把握が得意な人)が
左手(数字的な把握)も使いこなせるようになれば、
本質的な何かが変わるかもしれないというのに似ている。
ここで意外と大切なのは、
無理に苦手意識を克服しようとしないことかもしれない。
苦手を何とかしようとすると気が重くなって、
かえって改善が進まない様に想う。
苦手を何とかする改善型アプローチではなく、
いかに数字に日々触れるかを意識する
革新型アプローチの方が結果は早く出る様に感じる。
例えば、営業マン・部門長であれば、
業績数値を日々持ち歩いて見ること。
経営者であれば月次決算資料をもとに、
毎月税理士と最低1時間は会話をすること。
また、家庭を預かる人(主婦・主夫)であれば、
家計簿や家計の支出・収入・預金等をもとに、
配偶者と話すこと等々。
こうすることによって苦手なままでも肩ひじ張らず、
場数を踏むことで、自然に数字の世界の面白みや楽しさが
見えてくるのかもしれない。
まさに習慣が体質転換を生むのである。
あなたご自身は何を感じ、何に取り組んでおられますか?
「物事の把握をするにも、感覚的な把握と数字的な把握」
「数値でつかむ癖」
「感性と理性 感情と勘定 アナログとデジタル」
「無理に苦手意識を克服しようとしない」
「習慣が体質転換を生む」
1) あなたは、日常、数字にどれ位触れておられますか?
2) あなたが、数字的な把握をするために、
日々実践しておられるのは何でしょうか?
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